千葉地方裁判所 昭和56年(ワ)731号 判決 1986年7月25日
原告
田中正
原告
田中ヒロ子
右両名訴訟代理人弁護士
赤松岳
右同
土田庄一
被告
中村和成
右訴訟代理人弁護士
糸永豊
被告
君津郡市中央病院組合
右代表者管理者
吉堀慶一郎
右訴訟代理人弁護士
饗庭忠男
右同
小堺堅吾
右指定代理人
古谷直
右同
山口秀雄
右同
椎名敏夫
主文
一 被告君津郡市中央病院組合は、原告両名に対し、それぞれ金一三九五万三四九二円とこれに対する昭和五六年八月一八日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らの被告君津郡市中央病院組合に対するその余の請求及び被告中村和成に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用は、原告らに生じた費用の二分の一と被告君津郡市中央病院組合に生じた費用を同被告の負担とし、原告らに生じたその余の費用と被告中村和成に生じた費用を原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自原告両名に対し、それぞれ金一八六二万五五四三円及びこれに対する昭和五六年八月一八日より支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告田中正(以下「原告正」という)は訴外田中順子(以下「順子」という)の父、原告田中ヒロ子(以下「原告ヒロ子」という)は順子の母である。
(二) 被告中村和成(以下「被告中村」という)は、肩書住所地において、外科・内科を診療科目とする中村医院を開設する医師である。
(三) 被告君津郡市中央病院組合(以下「被告組合」という)は、木更津市、君津市、富津市、君津郡袖ケ浦町の三市一町によつて設立された地方自治法上の一部事務組合であり、国保直営総合病院君津中央病院(以下「君津中央病院」という)の開設者である。
2 順子の死亡
(一) 順子は、昭和五三年一〇月八日に岩手県久慈市で生まれた。順子は、昭和五四年一一月二一日午後おやつにクッキーを食べたところ、同日夕方より喉をコロコロ鳴らすようになつたが、熱はなく元気であつた。同月二二日午前八時三〇分には、順子は、喉を鳴らしており、大きく息を吸う時ヒューと喉で音がした。
(二) 原告ヒロ子は、順子に熱はなかつたが、風邪をひいたのかもしれないと考え、同日午前九時、順子を連れて前記中村医院を訪ねて被告中村に順子の診療を依頼した。
(三) 被告中村の診察時には、順子は、呼吸促拍し、顔、爪にチアノーゼが見られるなど重症感を示す状態であつた。被告中村は、順子を診察した後、山田小児科医院の山田勝巳医師(以下「山田医師」という)に電話してから、原告ヒロ子に「気管支炎か肺炎でしよう。炎症を起こしているかもしれないので耳鼻科の医師のいる大きな病院へ行つた方がいいでしよう。」と言つた。
(四) 被告中村は、原告ヒロ子に君津中央病院を紹介し、先方の了解を得てあるからと申し向け、順子を同病院へ搬送するため自ら救急車を手配した。
(五) 同日午前九時四五分、順子は、救急車で中村医院を出発し、同日午前一〇時三分、君津中央病院に到着したが、同病院は、「ベッド満床」を理由に順子の収容を拒否した。その後も木更津消防署長等が、数度にわたつて順子の収容もしくは診療を君津中央病院に懇請したが、同病院は順子を診察することすら拒んだ。この間、木更津消防署は、救急車を同病院前に待機させたまま管内各病院に電話で問い合わせをするとともに、市原・富津・千葉の各消防署にも応援を依頼して順子の収容先を探したが、容易に収容先は見付からなかつた。そこで木更津消防署は、遠方のいずれかの病院への順子の搬送もやむを得ないと判断して、搬送前の応急措置を君津中央病院に依頼したところ、同日午前一一時五分になつて順子は、同病院の本宮建医師(以下「本宮医師」という)の診察を受けることになつたが、本宮医師は、救急車内で順子を約二分間診察しただけで「肺炎でしよう」「大丈夫」と診断して救急車を送り出した。
(六) 同日午前一一時七分、順子を乗せた救急車は、同病院を出発したが、同日午前一一時一七分千葉市本町の中島小児科医院において順子の入院を引き受けてくれるとの確認を得たので、直ちに中島小児科医院へ向かい、同日午後〇時一四分同医院に到着した。中島小児科医院到着時の順子の病状は、呼吸困難、喘鳴、発熱、四肢冷感、奔馬調律が認められ、全身状態はぐったりとしており、同医院の中島元徳医師(以下「中島医師」という)によつて補液、酸素投与、抗生物質、強心剤の投与等の治療がなされたが、順子の呼吸、循環不全症状は改善されず、同日午後三時、順子は死亡した。
(七) 順子の死亡原因は、気管内異物による吸気性の呼吸困難と、二次的な嚥下性肺炎によるものである。
3 被告中村の責任
速やかに検査、治療を必要とする患者に転院を勧める場合、医師としては、転院先病院に転送する患者の年令・性別・症状等を十分に説明し、患者の受け入れに間違いなきかを十分に確認すべき義務があるにも拘らず、被告中村は、これを怠り、漫然と君津中央病院小児科外来窓口に順子を紹介する旨の電話を入れただけで君津中央病院が順子を間違いなく受け入れてくれるものと軽信し、順子を送り出した。
4 被告組合の責任
(一) 診療義務違反
(1) 医師法一九条一項により、医師は、診察・治療の求めがあつた場合には正当な事由がなければこれを拒んではならない義務を負つており、一方、病院は、医師が医業をなす場所であつて傷病者が科学的でかつ適正な診療を受けることができる便宜を与えることを主たる目的として組織され運営されなければならない(改正前の医療法一条・改正後の同法一条の二)から、医師についてと同様に診療義務を負つている。君津中央病院は、救急告示病院でありしかも医療法三一条以下に規定されている公的医療機関でもあるから、よほどの正当事由が存しない限り診療義務は免除されず、ましてベッド満床を理由に診療を拒絶することはできない。
(2) 君津中央病院は、木更津市、君津市、富津市、袖ケ浦町が同地域の医療施設の不足を補い周辺の住民に対して質・量ともに上質な医療サービスを提供するために設立した、総床数五八五床、小児科だけに限つても病床数三八、常勤医師四名を擁する君津地区の基幹病院であつて、しかも順子が診療を求めた時間は全診療科の医師の揃つている平日の午前中であるから順子の診療は十分可能であつたにもかかわらず、一旦は被告中村の照会に対して順子の収容を受諾しておきながら、一方的にこれを撤回して順子の収容をベッド満床を理由に拒否し、その後も同日午前一〇時九分頃被告中村が、同一〇時一二分頃山田医師が、同一〇時一五分頃木更津消防署指令室が、同一〇時三五分頃木更津消防署長が、同一〇時四五分木更津消防署救急隊長がそれぞれ順子の収容もしくは診察を同病院に懇請したが、同病院は、いずれに対しても、「入院を必要とする患者なら始めから設備のある病院で」、「診れない」などと言つて、診察をすることさえ拒んだ。
(3) 同日午前一一時五分、順子を乗せた救急車が一旦木更津消防署に引き上げようとした間際になつてようやく君津中央病院の本宮医師が二分程度順子を診察したが、この時点で順子の容体は不幸な転帰を迎えることさえ憂慮される事態であつたのに、同病院は、一、二時間遠方まで搬送しなければ収容可能な病院がないことを熟知しながら、順子の診療を拒否して救急車を送り出した。
(4) なお右本宮医師の約二分間の診察は、救急車内での簡単なもので厄介払いの儀式にすぎず、診察と呼ぶに値しない。
(5) 以上の理由から、君津中央病院には順子の診療を拒否する正当事由はなく、同病院の診療義務違反は民法七〇九条の不法行為を構成する。
(二) 本宮医師の誤診
本宮医師の前記診察の目的は、順子が収容先までの搬送に耐え得るか否かを診断するところにあつたが、右診療の時点では未だ順子の収容先は決つておらず、少くとも一、二時間遠方への搬送が予想されていたのであるから、本宮医師には、患者の病状経過を慎重に診察確認してその判断に誤りなきよう最善の注意を払うべき義務がある。本宮医師が慎重な診察を行いさえすれば、順子の病状が気管内異物なり上部気管の閉塞を考え得た筈であり、長時間の搬送に耐え得る状態になかつたことを容易に診断できた筈であるのに、同医師は、わずか二分程度の診療によつて搬送が可能であると判断して救急車を送り出した。
本宮医師の右誤診には医師として過失があり、被告組合は、同医師の使用者であるから民法七一五条の責任を負う。
5 因果関係
(一) 順子の本件疾病に関する重要な事実として、(1)順子の咽が「少しころころ」していた昭和五四年一一月二一日午後六時頃から、翌二二日午後三時に中島小児科医院で死亡するまで、わずか二一時間で死に至るという急速な経過をたどつたこと、(2)喘鳴を主症候とする呼吸困難が病態の中心をなしていること、(3)順子の死亡直前に中島小児科医院で撮影された胸部レントゲン写真に死に至るほどの気管支肺炎の像がないことがあり、右事実からは、一歳程度の乳幼児期に呼吸困難で死亡する疾患として挙げられる気管支肺炎、細気管支炎、気管支喘息、仮性クループ、気管内異物のうち、気管内異物が順子の疾患の主たる原因であつたと考えるのが最も合理的である。そして気管内異物の内容としては、同月二一日におやつに食したクッキーの小片が気管に入り、これがペースト状に変化して不完全ながら上部気管支の閉塞を起こして呼吸困難の原因となり、次第に完全閉塞へと進行して呼気性の呼吸困難が増強したものと考えられる。
(二) 気管内異物による呼吸困難に対しては、気管内挿管を行い気管内を洗滌吸引することによつて、急速な改善と完治が可能であつて、総合病院として小児科はもとより他科の医師が揃つており設備も整つた君津中央病院であれば、右処置を行うことに何ら支障はなかつた。
そして順子が被告中村の診察を受けたときの病状は、呼吸促拍、顔、爪にチアノーゼが見られるなど重症感はあつたものの死亡ということまで考えられるような状態ではなかつたが、順子は、君津中央病院の玄関先で待機中、酸素吸入を受けていたにもかかわらず呼吸困難が増強し、息が吸えないような状態を呈し、全身状態も悪化してぐつたりし、目もだるそうに明け、発汗、発熱も認められるようになつていた。同月二二日午前一一時七分、順子を乗せた救急車が君津中央病院を出発して間もなく、順子の呼吸困難は更に著明となり発汗もはげしくなつて、同日午後〇時一四分に中島小児科医院に到着したときには、順子の病態は、呼吸困難、喘鳴、発熱、四肢冷感、奔馬調律が認められ、全身状態はぐつたりとなつており、その後の中島医師の補液、酸素投与、抗生物質、強心剤の投与による治療によつても、右呼吸循環不全症状は改善されず、順子は同日午後三時に死亡した。
以上の事実から、君津中央病院の診療拒否と順子の死との間には相当因果関係があるというべきである。
(三) 仮に順子の疾患が気管内異物でなく、気管支肺炎、気管支喘息など他の疾患であつたとしても、点滴などの投薬によつて容易に順子の病態を改善することができたのであり、たとえ君津中央病院のベッドが満床であつたとしても、とりあえずは救急室や外来の処置台を使つてでも必要な応急処置を行つて順子の病状の改善を図り、その間に他科のベッドを含めて収容先を確保するなどの対応は、全科五八五床もの病床を有していた同病院には十分可能であつた。従つて順子の疾患が気管内異物以外のものであつたとしても、同病院の診療拒否と順子の死との間に相当因果関係が存在することに変りはない。
6 損害
(一) 順子の損害
(1) 逸失利益 金一〇二五万一〇八七円<省略>
(2) 慰藉料 金一〇〇〇万円<省略>
(3) 原告らは、順子の父母として、右合計金二〇二五万一〇八七円の二分の一である金一〇一二万五五四三円を相続した。
(二) 原告らの固有の慰藉料 合計金一四〇〇万円<省略>
(三) 弁護士費用 金三〇〇万円<省略>
よつて原告らはそれぞれ、被告ら各自に対し、不法行為に基づく損害賠償金一八六二万五五四三円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和五六年八月一八日より完済まで民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び被告らの主張
1 被告中村
(一) 請求原因1(一)の事実は知らない。同1(二)の事実のうち、被告中村が外科を診療科目としていることは否認し、その余は認める。同1(三)の事実は知らない。
(二) 同2(一)の事実は知らない。同2(二)の事実のうち、原告ヒロ子が昭和五四年一一月二二日、順子を連れて中村医院を訪ね順子の診察を依頼したことは認め、その余は知らない。同2(三)の事実のうち、被告中村が、山田医師に電話したこと、「耳鼻科の医師のいる」と言つたことは否認し、その余は認める。同2(四)の事実は認め、同2(五)の事実のうち、順子が原告ら主張の日時に中村医院を出発したことは認め、その余は知らない。同2(六)の事実は知らず、同2(七)は争う。
(三) 同3の事実は否認する。
被告中村は、順子を診察した結果肺炎もしくは気管支炎の疑いを持ち、入院設備のない中村医院では治療の効果をあげることができないので、人的物的設備の整つた君津中央病院への転送が適切であると判断し、同病院小児科外来へ電話して順子の氏名・年令・症状を十分に説明して順子の収容・診療を依頼し、「すぐに来て下さい。」との右外来の承諾を得て順子を送り出した。順子を乗せた救急車の出発後五分位経過したところで、君津中央病院の小児科外来より被告中村に電話があり、ベッド満床のため順子を収容できないと言われた。このため被告中村は、元君津中央病院小児科医長で現在は小児科医として開業している山田医師を通じて、同病院へ再度順子の収容・診療を依頼したのである。従つて被告中村の転送義務の履行に過失はない。
なお仮に、原告主張のように気管内異物が順子の死亡の原因であつたとしても、中村医院には、これを取り除き得る設備や咽喉科の医師を有しなかつたので、被告中村には、転送以外に方法がなく、転送義務の履行につき過失がないことは同様である。
(四) 同5(一)は争い、同5(二)、(三)の事実は知らない。
転送義務を尽した被告中村にとつては、重症感のあつた順子が、君津中央病院から更に転送され、その間に容態が急変して死亡に至るということは予想できず、被告中村の行為と順子の死との間には相当因果関係はない。
(五) 同6の事実のうち、(一)(2)の「被告らの不法な行為によつて尊い命を断たれた」との点及び(二)の「診療拒否され、とりかえしのつかない不幸な事態になつてしまつた」との点は否認し、その余は知らない。
2 被告組合
(一) 請求原因1の事実は認める。
(二) 同2(一)ないし(三)の事実は知らない。同2(四)の事実のうち、「電話で先方の了解を得てあるから」との点を否認し、その余は知らない。
被告中村からの順子の収容依頼の経過は以下のとおりである。即ち、昭和五四年一一月二二日午前九時三〇分ころ、被告中村より君津中央病院へ一歳の肺炎の女児の入院を依頼する旨の電話があり、これに応待した小児科外来の太田典子看護婦(準看護婦・以下「太田看護婦」という)が入院可能か確認のため、「ちよつとお待ち下さい」と言つて電話を置き、当日の小児外来担当の正岡純子医師(以下「正岡医師」という)に右入院依頼の趣旨を報告したところ、同医師からベッド満床のため収容できないと言われた。同看護婦は、医師の指示に従いその旨を被告中村に回答しようとしたが、即に電話が切れていたため、交換台を通じて被告中村に電話を掛け、満床のために収容不可能なことを話したところ、被告中村からは、救急車はもう出てしまつたということであつた。
(三) 同2(五)の事実のうち、原告ら主張の日時ころ救急車が君津中央病院に到着したこと及び本宮医師が救急車内で順子を診察したことは認め、君津中央病院が「ベッド満床」を理由に順子の収容を拒絶したとの点は争い、その余は知らない。
医師の診察は、その後の適切な治療の方針を決定するために行われるものであつて、単なる診察だけでは診療といえない。本件のような患児の診察にあたつては、診察として、家族への問診、患児の視診・触診・聴診・打診が不可欠で、検査として、胸部X線写真、心電図、血液検査(血液像、CRP・寒冷地凝集反応・トランスアミダーゼ等)、喀痰及び鼻・咽頭よりの細菌培養、動脈血中の酸素・炭酸ガス分圧、酸塩基平衡、その他の検査が不可欠である。また治療としては、まず患児を病室に収容して酸素テント内に置き、保温して適切なる輸液(持続静脈点滴)と抗生物質、強心剤、場合によつては気管支拡張剤が使用されなければならない。そして病状によつては、気管内挿管をして喀痰の吸引やレスピレーター(人工呼吸装置)による呼吸管理が必要となる場合もある。本件当時、君津中央病院においては、ベッド満床のため右のような適切な治療ができなかつたので、順子のためを第一に考え、救急隊員に対して治療可能な設備のある他の病院への速やかな搬送を依頼したのであるから、同病院の行為は、「診療拒否」にはあたらない。
また君津中央病院関係者は、同日午前一〇時三分頃に他の病院への搬送を救急隊員に要請した後、同一〇時四〇分頃までの間、順子を乗せた救急車が同病院前に待機していたのを知らなかつた。
(四) 同2(六)の事実のうち、原告ら主張の日時ころ、順子を乗せた救急車が君津中央病院を出発したこと及びその後順子が死亡したことは認めるが、その余は知らない。
同2(七)は争う。
(五) 同4(一)(1)の事実のうち、君津中央病院が救急告示病院であること及び公的医療機関であることは認めるが、その余は争う。同4(一)(2)の事実のうち、君津中央病院が、木更津市等三市一町において、同地域の医療施設の不足を補い上質な医療サービスを提供するために設立した病院であること、昭和五四年一一月二二日午前一〇時一五分頃木更津消防署指令室から、同一〇時三五分ころ木更津消防署長からそれぞれ順子の収容依頼があつたことは認め、被告中村の照会に対して順子の収容を受諾したことは否認し、その余は争う。同4(一)(3)の事実のうち、同日午前一一時五分に本宮医師が順子を二分程度診察したことは認め、その余は争う。同4(一)(4)、(5)は争う。
君津中央病院が順子を他の病院へ搬送してもらいたい旨依頼した行為が、仮に診療拒否にあたるとしても、本件当時君津中央病院は、ベッド満床であり、重症患者も多く転送用の簡便な点滴輸液装置さえ使用中のため、事実上診療そのものが不可能な状況にあつたのであるから、右診療拒否には正当事由が存する。
(六) 同4(二)の事実のうち、本宮医師の診察の目的が収容先までの搬送に耐え得るかの診断にあつたことは認め、その余は争う。
本宮医師が診察した際、順子は呼吸が速く顔面蒼白であつたが、四肢冷感、チアノーゼ等はなく、少くとも循環障害はないと考えられた。胸部聴診の結果は、喘鳴(+)であつたが、心雑音(−)、不整脈(−)であり、胸部湿性ラ音が聴取され、重症ではあるが、一時間ないし二時間の間であれば搬送に耐え得るものと判断し、順子を救うために猶予は許されないと考えて搬送可能との診断をしたのである。順子は、搬送の途中に不幸な転帰を取つたのではなく、中島小児科医院に収容されたのち約一時間四六分経過した同日午後二時頃心臓が悪化し、一時間後の同日午後三時に死亡という経過を辿つていることから見ても、本宮医師の診断に過失はない。
(七) 同5(一)の事実は不知又は争う。同5(二)の事実は争う。
(八) 同6の事実のうち、本件訴訟の提起を弁護士に委任したことは認めるが、その余は知らない。
三 被告中村の抗弁
仮に順子の疾患の治療に耳鼻咽喉科の医師と設備が必要で、原告らが東北地方出身者で地理に暗いとすれば、親の義務として総合病院を選ぶべきであつて、その点原告側にも過失があつたので、原告ら主張の損害額から差し引くべきである。
四 被告中村の抗弁に対する認否
争う。
第三 証拠<省略>
理由
一当事者
1 請求原因1(一)の事実は、原告らと被告組合間では争いがなく、<証拠>によれば、右の事実が認められる。
2 請求原因1(二)の事実のうち、被告中村が外科を診療科目としている点以外は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、被告中村は外科を診療科目にしていないことが認められる。
3 請求原因1(三)の事実は、原告らと被告組合の間では争いがない。
二順子の死に至る経緯
<証拠>を総合すれば、以下の事実が認められる。
1 順子は、昭和五三年一〇月八日に岩手県久慈市で生まれ、原告正の仕事の関係で、両親とともに千葉県君津市に居住していた。原告ヒロ子は、昭和五四年一一月一九日か二〇日ころから順子が感冒気味で、同月二一日午後六時ころには喉を鳴らしていたので、翌二二日朝、電話帳の裏表紙の中村医院の広告を見て同日午前九時頃に同医院を訪れ、順子の診療を依頼した。
2 被告中村は、原告ヒロ子への問診及び順子の視診の結果、顔面、口唇あるいは指の末端等に軽度のチアノーゼが認められ、喘鳴、軽度の呼吸困難、心臓の瀕脈等が認められる状態だつたので、気管支炎か肺炎の疑いを持ち、しかも重症であると判断した。そこで被告中村は、原告ヒロ子に、自分のところで治療するより小児科の専門家がおり入院設備のある病院で治療を受けた方がよいと勧め、自分の名刺の横に君津中央病院小児科外来担当医宛の紹介の文言を書いて原告ヒロ子に渡すとともに、自ら君津中央病院小児科外来に電話した。
3 被告中村が、電話に出た太田看護婦に、肺炎の一歳の女児の入院をお願いしたい旨述べたところ、太田看護婦は、「ちよつとお待ち下さい」と言つて電話を置いて正岡医師に入院が可能かを聞き、同医師から小児科のベッドは満床なので入院させられない旨の返事をもらつた。被告中村は、太田看護婦から入院承諾の返事をもらう前に木更津消防署に順子の搬送を依頼し、同署の救急車は、同日午前九時四三分に中村医院に到着し、順子を乗せて同九時四五分には同医院を出発した。一方、太田看護婦は、正岡医師の指示に従つて順子を入院させることはできないことを伝えようと受話器を取つたところ、被告中村からの電話は既に切れていたので、電話交換室に被告中村を呼び出してもらつてその旨を伝えたが、既に順子を乗せた救急車は中村医院を出発してしまつていた。
4 順子を乗せた救急車が中村医院を出発した直後に、木更津消防署指令室より君津中央病院外来に順子の収容の確認の電話がなされたが、電話に出た田口幸子看護婦(準看護婦、以下「田口看護婦」という)は、本宮医師の指示で小児科の病棟に電話をしてベッドが満床であることを確認し、本宮医師に入院を断るように言われて、その旨を同署指令室に伝えた。被告中村は、太田看護婦から順子の入院を断られたので、自分の高等学校時代の同級生で、昭和五〇年六月まで君津中央病院小児科医長をしていて現在は木更津市内で開業している山田医師に電話をかけて、山田医師から君津中央病院に順子の入院を依頼してくれるよう頼んだ。山田医師は、君津中央病院小児科外来に電話して、田口看護婦に順子の入院を依頼したが、ベッドが満床でどうしようもないと断られた。
5 順子を乗せた救急車は、同日午前一〇時三分、君津中央病院に到着したが、同病院に順子の入院を断られた。木更津消防署指令室は、順子を乗せた救急車を君津中央病院前に待機させたまま、被告中村と山田医師に君津中央病院との交渉結果を確認する電話をし、同日午前一〇時一五分に再度同病院に電話して、本宮医師に順子の入院もしくはそれが不能な場合に診察を要請したが、本宮医師は、緊急の入院を要する患者であれば初めから設備のある病院へ搬送して欲しいと言つて右要請をいずれも断つた。その後同署指令室は、木更津消防署管内の各病院に電話で当たるほか、市原消防署にも依頼して収容先を探したが、入院可能な病院は見つからなかつたので、同一〇時三五分、木更津消防署長自ら君津中央病院に電話して、順子の入院を依頼したが、同病院はこれを断つた。そこで同署指令室は、同署管外への順子の搬送もやむを得ないと考え、搬送に先立つて応急措置をしてもらえないか、同署救急隊に君津中央病院と直接交渉するように指示する一方、国立千葉病院へ順子の収容を依頼するが断られ、千葉消防署及び富津消防署に依頼して入院設備のある小児科の病院を捜してもらつたが容易に収容先は見つからなかつた。
6 木更津消防署指令室は、一、二時間の搬送に順子が耐え得るかを診断して欲しい旨依頼し、これに応じて同日午前一一時五分になつて、本宮医師が救急車内で約二分間順子を診察した。その際の順子の病態は、呼吸は速く顔面は蒼白であつたが、唇や四肢末端のチアノーゼ及び四肢冷感はなく、胸部聴診の結果、喘鳴が激しかつたが、心雑音及び不整脈はなく、胸部全体にわたつて湿性ラ音が聴取された。本宮医師は、順子が肺炎にかかつているのではないかと考えたが、一、二時間の搬送には耐えられると診断し、点滴等の応急措置を取ることなく順子を乗せた救急車を送り出した。
7 右救急車は、同日午前一一時七分、君津中央病院を出発し、同病院近くの路上で行先が決まるまで待機していたが、同一一時一七分に千葉市内の中島小児科医院が順子の入院を引き受けてくれるとの確認を得たので、木更津消防署に寄つて酸素ボンベのスペアを取つてから同医院に向い、同日午後〇時一四分に中島小児科医院に到着した。この時点での順子の病態は、呼吸困難、喘鳴、発熱、四肢冷感、奔馬調律が認められ、全身状態はぐつたりしており、中島医師によつて補液、酸素投与、抗生物質、強心剤の投与がなされたが、呼吸循環不全症状は改善されず、同日午後三時に順子は死亡した。
右認定に対し、被告中村は、君津中央病院小児科外来に順子の入院を依頼した際、「すぐに来て下さい」と言われた旨主張し、これに沿う被告中村和成本人の供述もあるが、右供述は、証人太田典子の証言と食い違い、さらに入院の許可権限をもつのは医師であつて看護婦ではなく、また君津中央病院では、ベッドの状況を小児科外来で把握するシステムになかつたことから、太田看護婦が「すぐ来て下さい」と即答したとは考えにくく、加えて被告中村は、原告ヒロ子に君津中央病院から入院の承諾を取つたといつていないことからも、被告中村和成の右供述は措信し難い。
三順子の死亡原因
原告らは、順子の死亡原因が、気管内異物による吸気性の呼吸困難と、二次的な嚥下性肺炎によるものであると主張し、それに沿う証拠として証人菱俊雄の証言及びこれによつて真正な成立を認める甲第一五号証の意見書の記載がある。
菱俊雄証人は、右意見書及び証人尋問において、順子の死亡原因が気管支肺炎ではない理由として、昭和五四年一一月二一日午後六時頃発病して翌二二日午後三時までのわずか二一時間で死亡することは気管支肺炎では考えられないこと及びレントゲン写真(甲第三号証)には死に至らしめるほどの気管支肺炎の像がないことを挙げている。しかしそのうち前者については、<証拠>によつて順子は死亡した同月二二日の二、三日前から感冒気味で具合が悪かつたことが認められるのであるから、その頃から既に気管支肺炎に罹患していた可能性があり、後者については、レントゲン写真は撮影の角度、映像力等により映像がはつきりしないことがあるので、レントゲン写真に死に至るほどの気管支肺炎の像がなかつたとしても、これによつて気管支肺炎が否定されることにはならない。
かえつて、順子を直接診察した中島医師が気管支肺炎と診断し、被告中村及び本宮医師も肺炎の疑いを持つていたことから見ても、順子の死亡原因は気管支肺炎であつたと認めるのが相当である。なお<証拠>には、被告中村が原告ヒロ子に「耳鼻科の医者のいる大きな病院へ行つた方がよい」と述べた旨の記載があるが、原告田中ヒロ子本人尋問では「耳鼻科の医者」ということは一言も述べられていないのに、その後に作成された甲第一四号証で初めて述べられているのは不自然なので、右記載は措信し難い。
四被告組合の責任
1 診療拒否について
被告組合は、君津中央病院が、適切な治療をする設備がないので順子のためを第一に考えて他の病院への転送を依頼した行為は、診療拒否にはあたらないと主張する。
順子のような気管支肺炎の患児の診療には、後記のとおり入院設備が不可欠であると考えられるので、君津中央病院が、木更津消防署から同月二二日午前九時四五分、最初に収容依頼を受けた際、入院設備が不十分のため設備のある他の病院への転送を依頼したとしても、それが順子のためを第一に考えたものとするなら診療拒否にはあたらないと解せられる。しかしながら同一〇時三分、順子を乗せた救急車が同病院に到着した時点においても転送を依頼し、その後容易に順子の収容先が見つからないことを認識しながら、同一〇時一五分、同一〇時三五分にも転送を依頼し、同一一時五分に本宮医師が診察した後も転送を依頼したことは、もはや順子のためを第一に考えた行為とは言えず、診療拒否にあたると解される。
なお被告組合は、君津中央病院関係者には、同一〇時三分以降同一〇時四〇分頃まで救急車が病院前に待機していることを知らなかつたと主張するが、他の外来患者の診療にあたつていた本宮医師には救急車が待機していたことがわからなかつたとしても、同病院の事務局等も知らなかつたとは考えられない。
2 医師法一九条の応招義務について
医師法一九条一項は、「診療に従事する医師は、診察治療の要求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と規定する。この医師の応招義務は、直接には公法上の義務であつて、医師が診療を拒否すれば、それがすべて民事上医師の過失になるとは考えられないが、医師法一九条一項が患者の保護のために定められた規定であることに鑑み、医師が診療拒否によつて患者に損害を与えた場合には、医師に過失があるとの一応の推定がなされ、診療拒否に正当事由がある等の反証がないかぎり医師の民事責任が認められると解すべきである。
そして病院は、医師が医業をなす場所であつて傷病者が科学的でかつ適正な診療を受けることができる便宜を与えることを主たる目的として運営されなければならない(改正前の医療法一条・改正後の同法一条の二)から、医師についてと同様の診療義務を負つていると解すべきである。
3 救急告示病院について
君津中央病院が救急告示病院であることは、原告らと被告組合との間では争いがなく、救急病院等を定める省令一条四号によれば、救急告示病院には、「事故による傷病者のための専用病床その他救急隊によつて搬入される傷病者のために優先的に使用される病床を有すること。」が求められている。しかし右文言及び消防法二条九項の趣旨から、右省令一条四号の「優先的に使用される病床」とは救急室等の救急治療のための病床と解せられるところ、証人田口幸子の証言によれば、君津中央病院には、救急隊によつて搬入される傷病者のための救急室があり、そこには病床と応急措置のための医療器具、医薬品が備えつけられていたことが認められるので、君津中央病院は、右省令の要求する病床を有していたと認められる。右の要求を超え、救急告示病院であることにより緊急かつ重篤な患者の治療のため各診療科に病床を確保しておかなければならないものとはいえず、救急告示病院であることが直ちに医師法一九条一項の正当事由の解釈に影響を及ぼすものではないと解すべきである。
4 医師法一九条一項の正当事由について
医師法一九条一項における診療拒否が認められる「正当な事由」とは、原則として医師の不在または病気等により事実上診療が不可能である場合を指すが、診療を求める患者の病状、診療を求められた医師または病院の人的・物的能力、代替医療施設の存否等の具体的事情によつては、ベッド満床も右正当事由にあたると解せられる。
<証拠>によれば、順子のような気管支肺炎の診察治療には、検査としてレントゲン写真、心電図、血液検査、喀痰及び鼻・咽頭よりの細菌培養、動脈血中の酸素・炭酸ガス分圧、酸塩基平衡等が必要で、治療として酸素投与、保温、適切な輸液、抗生物質、強心剤、気管支拡張剤等の投与が必要であることが認められ、このような診療をするにはベッドや点滴装置等の設備が不可欠であると考えられるところ、<証拠>によれば、原告ヒロ子らが順子の診療を求めていた昭和五四年一一月二二日午前九時四五分から同一一時七分までの間、君津中央病院小児科にはベッドが一般病棟に三八床、小児外科病棟に六床あつたものの、いずれにも入院患者がおり、他の診療科にもベッドを借りている状態であつたことが認められる。
しかしながら、<証拠>によれば、同日午前中の君津中央病院小児科の担当医は三名おり、右時間帯は外来患者の受付中であつたこと、君津市、木更津市、袖ケ浦町には小児科の専門医がいてしかも小児科の入院設備のある病院は、君津中央病院以外になかつたこと、本宮医師は、順子を救急車内で診察した際、直ちに処置が必要だと判断し、同時に君津中央病院が順子の診療を拒否すれば、千葉市もしくはそれ以北、千葉県南部では夷隅郡まで行かないと収容先が見つからないことを認識していたこと、同病院の小児外科の病棟のベッド数は、現在は六床であるが、以前は同じ病室に一二、三床のベッドを入れて使用していたこと、以上の事実が認められる。君津中央病院の全診療科を合わせたベッド数及びその使用状況については、本宮建証人(第二回)の、全科合わせると三〇〇床くらいありいずれも満床であつた旨の証言があるのみで、必ずしも明らかではないが、仮に他の診療科のベッドもすべて満床であつたとしても、とりあえずは救急室か外来のベッドで診察及び点滴等の応急の治療を行い、その間に他科も含めて患者の退院によつてベッドが空くのを待つという対応を取ることも、少くとも三〇〇床を超える入院設備を有する同病院には可能であつたといえる。よつて右の事情の下では君津中央病院のベッド満床を理由とする診療拒否には、医師法一九条一項にいう正当事由がないと言うべきである。従つて君津中央病院の診療拒否は、民事上の過失がある場合にあたると解すべきである。
五因果関係
1 <証拠>によれば以下の事実が認められる。
(一) 被告中村が診察した時点での順子の病状は、呼吸が促拍し、顔・爪に軽度のチアノーゼが認められ、喘鳴も認められたが、呼吸困難は軽度のものであつた。
(二) 順子は、君津中央病院前で待機中に、酸素吸入を受けていたにもかかわらず、呼吸困難が増強して息も吸えないような状態を呈するようになり、全身状態も悪化し、発汗するようになつた。そして順子を乗せた救急車が同日午前一一時七分に出発して間もなく順子の呼吸困難はさらに著明になつた。
(三) 中島小児科医院に到着したときの順子の病状は、呼吸困難、喘鳴、発熱、四肢冷感、奔馬調律が認められ、全身状態はぐつたりしていて、唇にはチアノーゼが見られた。中島医師は、酸素投与、ぶどう糖・ビタミン剤・抗生物質をカテーテルによつて輸液したが、順子の呼吸循環不全症状は改善されず、同日午後二時頃には心臓が弱り強心剤を投与したが効を奏せず、同日午後三時に順子は、心不全により死亡した。
なお同日午前一一時五分に、本宮医師が順子を診察したときには、チアノーゼは消えていたが、証人菱俊雄の証言によれば、これは救急隊の酸素吸入によつて一時的に低酸素状態が弱まり、チアノーゼが消えたものと認められる。
2 前記のとおり、君津中央病院は、とりあえず救急室や外来のベッドを使つて応急措置を行つて順子の病状の回復を図り、その間に病棟のベッドが空くのを待つという対応によつて順子を診療することも可能であつた。
そして前項の事実によれば、順子は、呼吸困難による低酸素及び脱水状態が長く続いたために、中島小児科医院に到着した時点では循環不全症状が生じ心臓が弱まつて死亡したものと考えられるので、低酸素、脱水状態が短いうちに君津中央病院が順子の治療を開始していれば、順子を救命しえた可能性は高いというべきである。本宮建証人も、君津中央病院にベッドが空いており、同病院のスタッフが治療に当たれば順子を救命し得た可能性があることを認めている。
また証人本宮建(第一回)の証言によれば、本宮医師は、順子を診察した時点で、順子は、一、二時間の搬送には耐えられるものの、それを過ぎたら不幸な転帰をとることも予見していたことが認められる。
3 以上によれば、君津中央病院の診療拒否と順子の死の間には相当因果関係があるというべきである。
従つて君津中央病院の診療拒否は、不法行為を構成し、被告組合は、同病院の開設者として、原告らの後記損害について賠償責任を負う。
六被告中村の責任
1 被告中村は、太田看護婦が「ちよつと待つて下さい」と言つて電話を置き、担当医師に聞きに行つている間に、右電話で入院の承諾が得られたと思い違いをしたか、あるいは入院の承諾が当然得られると見込んだかして、順子を送り出してしまつたのであるから、その点、患者を転送する医師として軽率であつたという非難は免れない。
2 しかしながら、被告中村は、順子を診察した結果、かなりの重症感を持ち、入院設備があり小児科の専門医のいる病院へ転送する必要があると判断したのであつて、右判断には誤りがない。小児科の専門医がいて小児科の入院設備がある病院は、木更津市周辺では君津中央病院しかなく、同病院は、前記のとおり正当な事由なくして順子の診療を拒否したのであるから、順子の治療が手遅れになつてしまつた責任は専ら君津中央病院の側にあり、被告中村は、その後山田医師を通じて再度順子の入院を依頼していることからも、診療義務を尽していたと言えるので、過失はないと解せられる。
よつてその余について判断するまでもなく、原告らの被告中村に対する請求は理由がない。
七損害
1 順子の損害
(一) 逸失利益
順子は、死亡当時一歳一か月の女児であつたので、稼動年数は四九年と認めるのが相当である。そして順子が死亡した昭和五四年度の賃金センサス第一巻第一表全国性別・学歴別・年令別平均給与表によれば、一八ないし一九歳の女子労働者がきまつて支給される現金給与額が月九万四七〇〇円で、年間特別給与額が一一万五二〇〇円であるから、一年間の平均収入は一二五万一六〇〇円であり、右期間を通じて控除すべき生活費を五割とするのが相当であるから、中間利息の控除につきライプニッツ式年別複利式計算法を用いて死亡時における順子の逸失利益の現価額を算定すれば、左記のとおり金一一三六万九九八六円となる。
125万1600円×(1−0.5)×18.16872173=1136万9986円
(二) 慰藉料
小さい女児が、病気と必死にたたかつて回復をはかろうとしているのに、被告組合の不法な行為によつて尊い命を断たれた無念さを考慮すれば、順子固有の慰藉料は七〇〇万円と認めるのが相当である。
原告らは、順子の父母であるから、右合計金一八三六万九九八六円の二分の一である九一八万四九九三円をそれぞれ相続したものである。
2 原告らの損害
被告組合の医療機関を頼りに診療を必死に願い出たにもかかわらず、診療拒否されて順子を死亡させてしまつたことによる原告らの苦痛と悲しみは、察するにあまりあるが、原告らが前記順子の慰藉料請求権の二分の一をそれぞれ相続していることを考慮すれば、原告ら固有の慰藉料は各金三五〇万円が相当である。
3 弁護士費用
原告らが本件訴訟の提起を弁護士に依頼したことは、被告組合と原告らの間では争いなく、被告組合に負担させるべき弁護士費用は、原告らにつき、それぞれ金一二六万八四九九円が相当である。
八結論
以上のとおり、原告らの被告組合に対する本訴請求は、各金一三九五万三四九二円及びこれらに対する本件訴状送達の翌日である昭和五六年八月一八日より完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を求める範囲で理由があり、被告組合に対するその余の請求並びに被告中村に対する請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書、九三条本文を仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官荒井眞治 裁判官手島徹 裁判官中山幾次郎)